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エウセビアと加納

背教者ユリアヌス (中) (中公文庫)背教者ユリアヌス (中) (中公文庫)
(1975/01)
辻 邦生

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皇后エウセビアが、テオフィルスに奇病を治療してもらってからというもの、まるで新たに自分が生まれ変わったかのように、今までの自分の人生を振り返る。
感情的になることなく、常に醒めた一歩引いたような目で周りの物事を見てきた。
何かを一人で、じっくりと一筋に深く思を巡らせる感覚に欠如していた。
だが、誰にも治せない病気にかかり、またそこから救われたことで、本当に切羽つまった形振り構わなくなる状況というものを体験した。
美しさや、若さや、権力、物事を冷静に見る目、何もかもがその前にあっては、なんの役にも立たないという事実。
何をどうあがいても、大きな運命という壁の前では、たった一人のちっぽけな存在で自分の力では一ミリとも変えられない。
その孤独感に今まで生きてきた全てが軽薄なものに見えてくる。
「人生はもっと暗い、真剣な、思いつめたもので満たされるべきなのだ。~」
「人が生きてゆくうえで、ただ真剣に立ち向かう以外、取るべき態度がない、という場合も、人生にはままあるのだ。~」
さまざまな、とある瞬間に感じる人間の宿命の動かしがたさ、人生の重さ、いまはじめて実感する人生の厳粛さ…。


よくあるそういうこと。そのときはなにも考えていなくて、過ぎてからふと振り返ってみると、ああしておけば良かったとか、もっとこうしてたら、とか。できることなら、もう一度あの頃に戻ってやり直したいという気持ち。今なら、あんな馬鹿なことはしない、言わない、無造作にしない、もっと、その、一分一秒を噛み締めながら大切に、その時というものに真剣にあたることができる。というような。


皇帝との結婚にしても、深く考えたことがなかった。皇帝から愛されているという事実だけだった。
自分に愛はあったのだろうかと自問する。
「~人を愛するというのっぴきならぬどん底まで下りて行って、そこで人生の厳粛な姿を真に味わっただろうか…」

おそらく愛とは、暗い燈火の下で死んでゆく病人を見守るのと同じほどの、生の厳粛さと切り離しては、存在することができないものなのだ。それは騒がしいお喋りでもなければ、官能を喜ばす舞踏でもないのだ。愛とは、沈黙して、辛抱づよく、ある激しい感情に耐えることなのだ。言ってみれば、それは、たった一人の心の奥の仕事なのだ。蜜蜂が一夏のあいだ、せっせと蜜を蜜房に貯えるように、心の奥に、人知れず貯えるべき心情の炎なのだ。「もし私が、こうした愛で、コンスタンティウスを愛していたとしたら、私は皇后の位を当然拒んでいたはずだ。そしていまごろはマケドニアの奥で、誰とも結婚せず、ひたすら皇帝のことを思いつづけて、それだけで十分に満ち足りた思いを味わっていたにちがいない」p43



私は、「黄金~」のモモと同じように、合田シリーズの加納のこともまた、どうしてこうなんだろうと理解できなかった。ただ18年間想うだけで、ずっとそばにいることができるんだろうか、と。
まるで修行僧の苦行みたいで、どうしたらそんな苦痛に耐えながらも相手を想い優しく接することなどできるのか、不思議だった。
このエウセビアの心情をみて、ああ、ひょっとしてこういうことなのかと、なんとなく理解できるようになった。
加納が合田を愛することは、他の誰でもなく加納一人の心の問題なんだ。
合田を想う気持ちを心の底で燃やし続ける炎にして、大切に大切に守ってきた。
それは、それこそ加納にとって聖域とも呼べるべきものではなかったんだろうか。(うわー今度は「秘密」に被ってきた)
決して暴かれてはならない穢してはならない聖域。
加納が合田と知り合う前のことは何も分からないけど、合田を想うことによって、生身の自分自身というものを痛切に実感したとか…双子の妹という自分の分身のような存在があって、しかし、この想いは、自分だけのもの、想う辛さも苦しさも幸せも、自分だけただひたすらに自分の心が感じるものなんだ。
生のどん底で見悶えるほどの苦しみを味わったとしても、それ自体をも愛おしく思えるほど、自分がこの世で加納祐介というただ一人の人間として持てる痛みならば、合田を愛することは幸せを実感すれども決して辛いことではないのかもしれない。
合田を愛する気持ちが加納を一人の人間として確固たるものにした。
だから、合田が自身の命を粗末に扱ったとき、加納の心も打ち砕かれた。
愛するものを失うことは、自分もまた失うことなんだ。(幸田の、モモに何かあったら俺も生きてはいけない。を、思い出した)
(ああ、世間によくある?後追い自殺とか理解できなかったけど、こういうことなんかな…)
加納は、もしかしたら、ここで死んだのかもしれない。
加納も自分を殺したのかもしれない。
合田の行為とともに、曝け出してしまった心の奥底の大切な炎。
燃え尽きてしまったのではないだろうか。
あーだめだめだめそんなんだめ!それなら、愛だってただの独り善がりになってしまうじゃないか。
自分一人で、これでいいと思ってたら、ちっとも良くないし、寂しいじゃないの。

モモも加納も、ただ、与えて、ひたすら与えるだけで、満足したら、どんな形にしろ、答えてくれる相手が寂しいじゃないか。
モモは、寂しくならなかったから、よかった。

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プロフィール

Author:レイン Rain
映画とかアニメとかRPGとか観劇とかいろいろ少しづつ。全てにおいて毒舌、偏り、腐発言多々あり。
最近やっと世の中に目を向け出した。